高精白仕込みの始まり

 宮水の発見と同時期の天保年間、山邑家六代目当主・太左衛門は、 原料米の精白と酒質との関係を考え、原料米の精米時間を長くし通常の精白よりさらに白くした高精白米を用いて仕込みを行いました。

米の精白

 出来上がった酒は今までの酒と異なり色は薄く、味はさらりとした粘りけのないものでした。 世間の評判を見ようと江戸にこの酒を送ったところ、一番高い仕切り値が付き大評判となりました。 この結果に意を強くした太左衛門は、水車精米により全面的に高精白仕込みを行い、名声を不動のものにしました。

 六甲山系の水車に恵まれた灘地方では、 他の酒造家もこれに習い良酒が醸造されるようになり、灘酒の品質は非常に向上しました。
 高精白米が使われるまでの酒質は雑味が多く粘りけの強いもので、 俳人松尾芭蕉が「御命講や油のやうな酒五升」と詠んでいることでも伺えます。

 高精白米仕込みは現在で言えば吟醸造りで、六代目太左衛門はその創始者と言えます。


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