宮水発見の経緯

 櫻正宗の六代目当主・山邑太左衛門は、江戸時代の天保10年頃、西宮郷と魚崎郷とで酒を造っていました。 ところが、常に西宮郷の酒が優れていることに疑問を持ち、酒造米を同一にしたり、蔵人を入れ替えてみたりしましたが変化はありませんでした。 最後に考えられたのが「仕込み水」でした。

宮水採水

 そこで西宮郷の梅の木蔵の井戸水を魚崎郷で使用してみたところ、西宮の酒と同様の良酒が醸出されました。 このことから断然意を決して天保11年(1840)より西宮郷の梅の木蔵の井戸水を魚崎に輸送し仕込みに用いるようになりました。 世の中の人は太左衛門を嘲笑し狂人扱いしましたが、お酒が「大評判」となるまでに時間はかかりませんでした。

宮水運搬の様子
宮水運搬の様子

 江戸の市場でもこの酒が大好評であったため、灘はもとより他地方の酒造家も競って西宮の井戸水を使用するようになりました。 このため梅の木井戸が宮水発祥の井戸で、山邑太左衛門が宮水の発見者とされます。

宮水発祥の地 記念碑
宮水発祥の地(西宮市)

 宮水の特色は、酒の害になる鉄分を含まず、酒造りに必要な塩分と硬度を持ち、リンやカリウムを多量に含有していることで、 酒造原料としては世界に比類のない水です。


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